戦術的に疑問

nostalji2012-11-09

韓国時代劇『太祖王建(テジョワンゴン)』の最終回を観る。DVDボックスや雑誌によると全200話となっていましたが、放映されたのは全184話でした。16話分をどこかでカットしたのでしょうが、特に不都合は感じませんでした。高麗を建国して後三国を統一した王建の物語で、この作品に限らず韓国歴史劇全般に共通する合戦演出に疑問があります。
その一つは夜戦が多いこと。少数兵力で大勢力を破るには夜戦による奇襲は納得できるのですが、大兵力でも夜戦を仕掛けるのは戦術的におかしいですね。夜だと味方も敵の動きも暗くてわからず、全体にわたって状況に応じた適切な指揮がとれない恐れがあります。日没後に仕掛けるのでなく、夜明け前に仕掛けるのが数多くある戦史によって証明されています。それと大軍が夜に行軍するのもおかしな話ね。光秀を討つために毛利と講和した秀吉が密かに大返ししたような特別な時だけですよ。
二つ目は、将軍たちが王様と並んで行軍すること。戦線でも並んで戦況をみています。1万以上の兵団であれば、それぞれの部隊を率いる指揮官として部隊と一緒にいなきゃおかしいのにね。普通は部隊と指揮官は固定されるもので、王の命令でその都度指揮官が変わったら、兵士はとまどいますよ。王と行動を共にする旗本と、部隊を率いる武将の区別もなく、ゴッチャになっています。
三つ目は、一騎打ちが多いことね。日本でも源平時代に一騎打ちが行われたことは文書に残っていますが、韓国歴史劇は中国『三国志』の影響でしょう。色々な韓国歴史劇の基になっている高麗時代の史書三国志遺事』に記載されていれば、ナレーションされたと思いますからね。部隊長クラスの一騎打ちは許せるとしても、現在観ている『広開土大王』では、総大将の広開土大王と契丹の大部族長の一騎打ちが出てきたのにはズッコケましたよ。いくら強くても、総指揮官がバクチ的戦術をとるようでは、国相が国の将来を心配するのもムリはありませんでしたな。個人の戦闘能力と指揮能力は別物なんですが、戦闘能力が高いと韓国歴史劇では優れた将軍になるので〜す。