映画史の勉強というより

nostalji2013-03-04

“ドキュメント昭和”の4巻『トーキーは世界をめざす』(角川書店:1986年9月1日初版発行)を読了。NHKのドキュメンタリー番組制作時の取材を編集したものです。トーキーになる寸前の昭和初期から始まって、国策映画が中心となる戦時中までの映画史といえます。詳細な資料は映画雑学に役立ちますね。
日本最初の本格的トーキー映画『マダムと女房』が、欧米のような音楽映画でなく、日常を描いたコメディだったのは、録音技術への危惧と映画館の対応の遅れを考慮してサイレント(弁士対応)上映でも対応できるようにした為だとか、欧米では外国映画は吹替えが一般的なのに、日本では字幕が定着したのは日本独自の映画文化があったとかね。
日本では洋画を観る階層(知的レベルが中流以上)と邦画を観る階層が違っていて、観客にとって字幕は負担にならなかったんですね。字幕の第1作は『モロッコ』なんですが、それまでにも外国のトーキー映画は上映されており、弁士がついていたんですね。だけど、弁士の日本語とトーキーの外国語が重なって映画に集中できないという問題がありました。俳優の表情も言葉もわかる字幕は歓迎され、『モロッコ』は日本で1928年最大のヒットとなりました。欧米では、ナショナリズム(フランスでは他国語の台詞は聞きたがらない)と識字率(意外と文盲が多い)の関係から自国語吹替えになったようです。
戦時中の国策映画についても、欧米との違いがあります。『カサブランカ』のような娯楽映画でも第二次大戦におけるアメリカのヨーロッパでの参戦を正当化するメッセージを持った国策映画になっているのに、戦意高揚のために作られた日本の戦争映画を数多く観たフランク・キャプラは、戦場で日本兵の苦しむ姿ばかりが多くて、「これはまるで反戦映画だ」と語ったそうです。しかし、これは欧米人が理解に苦しむ、我慢と忍耐を美徳とする日本人独特の戦争肯定感なんですなァ。画像は、『土と兵隊』(1939年/監督:田坂具隆)のスチール。下をむいて行軍する兵隊の姿は、まるで敗軍の兵で勇ましさは感じられませ〜ん。