ユニークな歴史観

nostalji2016-03-10

待ち時間などでシコシコ読んでいた井沢元彦:著の『学校では教えてくれない日本史の授業 謎の真相』(PHP文庫:2016年2月15日第1刷発行)を読了。「大極殿のクーデター」「柿本人麻呂はなぜ正史に登場しないのか」「親鸞道元の教えはなぜ広まったか」「軍師・山本勘助の実在否定の謎」「武田信玄の謎に包まれた上洛ルート」「織田信長はそのときなにを見たか」「秀吉を支えた参謀・半兵衛と副将・官兵衛」「明智光秀謀反の陰に帝の姿が!」「太閤秀吉の墓をめぐるミステリー」「絢爛たる戦国の終焉、大阪城」「四十万石を投げ出したお殿様、加藤明成」「水戸黄門はいかにしてつくり出されたか」「使い捨てられたテクノクラート大久保長安」「大久保はなぜ西郷と袂を分かったのか」の14講からなり、通常とは異なる角度から読み解いています。
『逆説の日本史』などでユニークな歴史解釈をしている著者らしく、本書でも面白くて納得感のある解釈が多々あります。大河『真田丸』の主人公・真田信繁は一般的には幸村として名が知れ渡っていますが、同時代の史料(手紙や文献など)には幸村の名は出てきません。だけど、幸村の名が江戸時代には知られているので、どこかで信繁から幸村に改名したというのが著者の見解です。武田の家臣であった昌幸は兄・信幸(信は信玄、幸は昌幸の父である幸隆から採ったと思われる)を助ける存在として次男に信玄の弟・信繁の名をつけましたが、関ケ原の戦いで信幸は徳川方につき信之と改名。そこで信繁は兄と敵味方となったことから信繁の名を捨て、真田家に代々伝わる幸を冠した幸村と名乗ったというんですな。推測にすぎませんが、納得感のある解釈で〜す。