武士の本質

nostalji2016-04-28

帰京の新幹線で読もうと駅も売店で購入した『歴史街道(5月号)』を読了。児玉源太郎の台湾統治について特集しています。児玉源太郎といえば、日露戦争の名参謀という印象しか持っておらず、台湾総督だった児玉源太郎の治世については殆ど知りませんでした。
台湾が日本の統治下に入ったのは1895年(明治28年)で、樺山資紀桂太郎乃木希典が総督を務めましたが、いずれもうまくいかず、第4代総督として児玉に白羽の矢が立ちました。児玉は後藤新平などの新進気鋭の人材を抜擢し、民生向上によって土匪対策を行い、治安を確保。そしてインフラの整備、産業の育成などを推進していきます。
台湾に元々暮らしていたのは高砂族などのポリネシア系民族(言語や風習が違っており、部族間抗争もあった)でしたが、中国大陸から漢民族が渡来してきます。とはいっても、16世紀までは漢民族の住人は極めて少ないものでした。1624年にオランダが台湾を領有しますが、清の敗れた明の再興のために鄭成功が蜂起し、1661年にオランダを駆逐し、台湾で自治を開始。原住民は徐々に山間部に追いやられます。1683年に鄭氏政権は清国軍に降伏し、台湾は清国の統治下に入ります。清朝は台湾に魅力を感じておらず、現地民の反乱も頻繁に起こるので統治には苦労したようです。
児玉ら明治人の考えは、植民地経営は搾取の対象でなく、あくまで「本土の一部」「内地の延長」でした。「台湾の人々の暮らしを日本人と同等のものに引き上げよう」と考えていたんですね。当時の台湾は無政府状態だったので、台湾人に歓迎されました。朝鮮に対しても同じ考えをもっていましたが、千年以上も中国支配を受け続けてきた朝鮮民衆には被害者意識のほうが強かったのと、児玉のような指導者がいなかったことですね。
昨年、台湾旅行をしたのですが、そのガイドさんが戦前からの台湾人で、日本人に対してもの凄く親近感を持っていました。最初は外交辞令かと思っていたのですが、話しているうちに心底日本人が好きだというのがわかりましたよ。逆に大陸の中国人を傲慢だと言って毛嫌いしているのね。台湾人の中に日本の統治時代を懐かしむ人が多いということに納得。