青年文化の始まり

先日(11日)亡くなったモンキー・パンチさん(81歳)に続いて、小池一夫さん(82歳)が亡くなる。モンキー・パンチといえば『ルパン三世』、小池一夫といえば『子連れ狼』ですが、「週刊漫画アクション」でリアルタイムに漫画で親しんだ私としては思い入れがあります。
ルパン三世』が「週刊漫画アクション」で連載開始されたのが1967年。私たち団塊の世代が青年期に入った頃でした。64年の「平凡パンチ」と66年の「週刊プレイボーイ」によって青年文化が芽吹き、子ども文化の最たるものであったマンガも、読者の成長によって青年層を対象としたものになってきます。大人漫画でなく児童マンガの流れにある、青年たちのための新しいストーリーマンガね。それまで“劇画”というスタイルで青年向けマンガを提供していた貸本マンガが終焉を迎え、劇画家や挿絵画家を起用した初の青年マンガ週刊誌が「週刊漫画アクション」でした。
「週刊漫画アクション」の前に月刊誌で、白土三平を中心とする「ガロ」が64年に、「ガロ」に対抗する形で手塚治虫を中心とする「COM」が67年初めに創刊されているのですが、マニアックすぎて一般受けしませんでした。白土劇画や手塚漫画の影響を受けてプロになった若い作家の中から、児童マンガの制約を離れた新しいマンガの可能性に挑戦する者が現れます。モンキー・パンチさんも、その一人。そんな若手を積極的に起用し、『ルパン三世』のヒットもあって「週刊漫画アクション」は青年マンガの基盤となり、「ビッグコミック」「プレイコミック」「ヤングコミック」と、それまで児童マンガ雑誌を手がけていた出版社が新しい分野に参入。69年から70年にかけて創刊ラッシュが巻き起こりました。マンガ家だけでは需要においつけず、小池一夫さんのような脚本家との分業が確立。それは、マンガに新たな道をしめし、表現・テーマをさらに深化させました。同時に私たち団塊の世代はマンガを卒業する必要がなくなり、次世代に続く青年文化の核となって、“大衆文化”へと発達していったので~す。

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