帰京

25日に入院している母の治療状況や治療方針を話すカンファレンス出席。主治医・看護師・理学療法士作業療法士・医療相談員・ケアマネージャーによる説明を受けました。リハビリは順調に進んでいますが、貧血からくる低血圧で椅子から起ちあがった時に転倒して骨折したという経緯から内科治療も併せて行っているとのこと。歩行器を使っての日常歩行はできるようになるが、入浴時に浴槽をまたぐ行為はリスクがあるので、退院後はヘルパー利用を考えておく必要がありそうです。4週間後のカンファレンスで、その辺のことを具体化予定。
カンファレンス前の23日に医療相談員が教えてくれた限度額適用認定証(医療機関に提示することで自己負担限度額までの支払いとなる)申請のため区役所へ。入院が長期化すると入院費の支払いが大きくなるので、後で払い戻される高額療養費申請より便利です。本人でなくても委任状があればその場で発行されます。

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移動や待ち時間に、岡崎武志:著の『昭和30年代の匂い』(ちくま文庫:2013年5月10日第1刷発行)を読了。少年時代を大阪で過ごした著者による懐かしいだけでは語りきれない生活の叙述です。
1957年生まれの著者と私のような団塊の世代とでは世代間ギャップがあり、昭和30年代への思いも異なっています。昭和30年代を愛おしくてたまらない私たちと違って、客観的に見つめられるのが強みですね。世代間ギャップで一例をあげれば、“原っぱ”があります。“原っぱ”というのは、工場の空地・宅地用の売地・資材置場・屋敷跡などの町の空地のこと。私たちの頃は、子どもたちは我が家の劣悪な居住空間を抜け出して、町の至る所にあった“原っぱ”で遊んだものです。しかし、著者の子ども時代では、“原っぱ”で子どもがケガをしたりすると土地の所有者の管理責任が問われるてんで、有刺鉄線などで空地に入れなくなり、どんどん“原っぱ”がなくなったとのこと。住宅環境も良くなり始め、遊び場が“原っぱ”から児童公園になっていくんですね。地域によって差はあるでしょうが、一括りに昭和30年代といっても、初めと終わりでは子ども文化に変化がありま~す。