訃報を知って

積読状態だった阿川佐和子中村吉右衛門にインタビューした『吉右衛門のパレット』(新潮社:2000年12月20日発行)を読了。舞台写真とともに、中村吉右衛門を襲名した経緯と歌舞伎界について語っています。

初代・吉右衛門は母方の祖父で、4歳の時に吉右衛門を継ぐように言われたとのこと。20年前のインタビューで、その時、初代・吉右衛門が演じた演目の三分の一もやっていないと語っていましたが、その後、どのくらい演じることができたのでしょうか。

歌舞伎の公演は、通常、昼と夜の二部制で、長い芝居の一部分を三本とか四本やるというのは歌舞伎の独特の世界。『仮名手本忠臣蔵』の「五段目・山崎街道」をやって、『娘道成寺』の踊りがあって、また別の演目『菅原伝授手習鑑』の「車引」があるといった具合。それを初めたのが、松竹の創業者・大谷竹次郎ということを初めて知りました。まだ、映画のなかった時代で、観客に歌舞伎を楽しませるため、バラエティーにとんだ構成にしたんでしょうな。

一生役者をやっていくぞ、と心の底から思うようになったのは五十を過ぎてからと語っていますが、もっと生きていて欲しかったで~す。

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