週末は読書

中田潤:著の『三沢さん、なぜノアだったのか、わかりました』(BABジャパン:2000年10月5日初版第1刷発行)を読了。全日本のエースだった三沢光晴が、プロレスリング・ノアを旗揚げした深層心理を解析。三沢は2009年に亡くなっているのですが、何故死に至ったかは、ノアのプロレスでわかるような気がしました。

第1章:プロレスへの疑問、第2章:リアリスト三沢光晴の礎、第3章:地層の変化、第4章:全日本プロレスを襲う閉塞感、第5章:一見さんとの闘い、第6章:防波堤の崩壊、第7章:やりたいようにやる、第8章:秋山が抜いた刃、第9章:全日本プロレス退団、第10章:小橋・秋山の主張、という構成で、三沢の試合とインタビューを通して、三沢のプロレスを分析。

馬場が衰え、猪木の過激なプロレスや総合格闘技(シュート)の人気が高まる中、全日本プロレスの人気は低迷しはじめます。そんな中、三沢たち四天王(後の三人は川田・小橋・田上)が始めたのがカウント2.9のプロレス。レフェリーがスリーカウント目を振り下ろした時点で終わりになるはずが、マットの直前で寸止め。初めからそういう動きをする演出です。カウント2.9を観客に納得させるには、激しい技の攻防が必要で、必然的にセメントに近い試合内容になります。技と技との間にマをとりながら緊張をたかめてフィニッシュという当たり前のことを当たり前に展開する試合内容でなく、何が出てくるかわからない試合展開。どんな攻撃にも、無意識に身体が反応して受け身がとれることが前提ですが、ケガはつきもの。先週読んだTAJIRIの本で、TAJIRIがプロレスラーの身体は消耗品と語っていましたが、真にその通りで、三沢の死も限界を超えた結果のような気がしま~す。