伊達政宗が続く

nostalji2008-05-07

画像は、伊達政宗の蝋人形。松島にある政宗歴史博物館に展示されています。政宗歴史博物館では、伊達政宗の生涯における名場面が蝋人形で再現されているんですよ。館内は写真撮影OKでした。
でもって、PS2で『信長の野望・革新』ですが、1585年2月、蘆名と同盟期間が過ぎたので、黒川晴氏を人質に要求されたが再度同盟。最上とも同盟が終結し、岩出城の守りを固めるには蘆名との同盟は不可欠なものでね。1585年6月、大浦城の津軽家攻略のため、久慈港から伊達成実&屋代景頼(足軽:8千5百)・鬼庭左月&高田康実(足軽5千5百)・九戸政実&菅谷政貞(騎馬:6千5百)、三戸城から伊達政宗&大崎義隆(騎馬:9千5百)が出陣する。1万5千8百の大浦城を攻略し、領主の津軽為信を捕えるが解放。為信の能力を考えたら殺すのは惜しいです。でもって、5千7百で立て篭もる十三湊の津軽勢を攻略して、予定通り津軽為信を家臣にしました。さらに娘を嫁がせて一門にし、指揮兵力も増やしたのだよ。
12月に蠣崎季広(1万)が久慈港攻略に出陣してきましたが、九戸政実&屋代景頼(騎馬:8千5百)を救援に赴かせて撃退。こんな時、騎馬隊のスピードが役立ちます。同時期、相馬中村城を築城した小高城の相馬が、相馬中村城から相馬盛胤(8千)が岩出城攻略に出陣してきましたが、これも原田宗時&四釜隆房(騎馬:8千5百)と城の守備兵で難なく撃退。原田宗時の統率はBクラス(S:90以上、A:80以上、B:70以上、C:60以上、D:59以下)だが、突進戦法を持っているので、騎馬隊を指揮したときは強力ですね。