紙芝居

nostalji2009-03-27

西岸良平:著の『三丁目の夕日』(小学館)の、“紙芝居の来る町”と“てるてる坊主”を読了。
“紙芝居の来る町”(2003年11月21日第2刷発行)は、テーマと関係があるのは第1話だけで、後は関係ない全11話が収録されています。町田忍のコラム「紙芝居」によると、私たちが記憶している紙芝居屋さんスタイルになったのは1934年頃からで、全盛期は1948年とのこと。全国に約5万人、東京だけでも3千人の紙芝居屋がいたそうです。昭和30年代になると、テレビの出現により、その数は急激に減り、減少の一途をたどったそうですが、ピークが1948年ということは、テレビよりマンガの普及の方が影響力大のような気がします。マンガ月刊誌や貸本マンガが次々に創刊されていき、紙芝居作家がマンガ家や劇画家に転進していきましたからね。テレビが止めを刺したというところでしょうか。
“てるてる坊主”(2006年6月30日第3刷発行)は、雨降りに関連した11話が収録されています。第1話に出てきた自動車のタイヤに付ける“泥はね防止器”や、第2話にでてきた梅干の作り方は知らないことだったので、興味深かったですね。知らないことといえば、町田忍のコラム「床屋さん」でバリカンが会社名だったことを初めて知りましたよ。バリカンの正式名称はクリッパーで、日本に最初にきた製品がバリカン・エ・マール社製のものだったとのこと。今度散髪に行ったら、知っているか、オヤジに訊いてやろ……