実現して欲しかった時代劇

nostalji2014-12-02

健さんに続いて、菅原文太(81歳)さんも亡くなる。文太さんはファッションモデルとして働いている時に新東宝にスカウトされ、『白線秘密地帯』(1958年/監督:石井輝男)の殺し屋役でデビューしました。この作品で主演していたのが、もう一人の健さん宇津井健で、宇津井さんも今年の3月に亡くなっていますね。先日紹介した『毒婦夜嵐お絹と天人お玉』に主演していた筑紫あけみも『白線秘密地帯』に出演しており、彼女も今年の4月に亡くなっています。
傍役で数本出演した後、吉田輝雄・寺島辰夫・高宮敬二そして文太さんをハンサム・タワーズの名称で売り出し、新東宝主演スターとなりましたが、間もなく新東宝は倒産、文太さんは松竹に移籍。松竹では目立った作品はなく、1967年に東映に移ります。東映でのデビュー作が健さんの『網走番外地・吹雪の斗争』というのも因縁を感じますね。“現代やくざ”“まむしの兄弟”“人斬り与太”と、実録ヤクザ路線に繋がるシリーズで、ドライでアナーキーなキャラを演じ、“仁義なき戦い”でトップスターになりました。
画像は、文太さん主演『丹下左膳』の幻のポスター。“トラック野郎”シリーズで大ヒットをとばした天尾完次プロデューサーと鈴木則文監督が文太さん主演で企画したものです。社長を説得するためにポスターまで作っているんですね。ポスターで評判をたて、映画を作らざるを得ない状況へもっていく作戦だったようです。しかし、「こんなもん、いまどき」の社長の一言でつぶれたそうです。
「隻眼隻手、おぼろ月夜にうつる影。姓は丹下、名は左膳…と、大見得きりてェところだが、そこは文太、昔ながらの剣戟ものに、おさまりかえる了見は、これっぽっちもありゃしねェ!」いいなあ、この惹句。