名前は知っていても

nostalji2018-01-20

みなもと太郎:著の『風雲児たち』(潮出版社の希望コミックス)の第8〜9巻を読了。正月時代劇『風雲児たち蘭学革命篇〜』にも登場した平賀源内(山本耕史)、高山彦九郎高嶋政伸)、林子平高木渉)、工藤平助(阿南健治)を描いています。平賀源内は有名ですが、高山彦九郎林子平は名前を知っている程度。工藤平助なんて全く知りませんでした。
私は京都の大学に行っていたので京阪三条駅にある土下座している高山彦九郎銅像を見ており、尊王思想家であったことは知っているのですがそれだけね。「太平記」を読んで尊王思想に目覚め、足利尊氏の墓を鞭で300回も叩いたとか。幕末に尊氏の木像の首を斬った連中なんかは、彦九郎の行動に影響を受けたんでしょうなァ。全国を尊王行脚し、天皇にも拝謁しているんだから立派なものです。幕末尊王思想の先駆けとなった人物といえます。
林子平は、仙台藩士でしたが部屋住みの気儘さから全国を歩き回り、海防の必要性を説いた人物。「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」つまり、海は鎖国の役に立たず、異国人はどこからでもやって来ると言ったんですな。それで、外国勢力を撃退するには近代的な火力を備えた海軍の充実と、全国的な沿岸砲台の建設が必要と、「海国兵談」なる本を自費出版したんです。国防思想の先駆けとなった人物といえます。おまけに剣豪で、ドラマの主人公にしたいような人物です。
工藤平助は仙台藩江戸詰医師で、多彩な交友関係を通して彼らが見聞きした情報から「赤蝦夷風説考」を執筆。ロシアの南下を警告し、蝦夷地経営の重要性を説きました。
幕末に影響を与えた風雲児たちなので〜す。