学術本だったが

nostalji2018-01-28

水口志計夫・沼田次郎:編訳の『ベニョフスキー航海記』(東洋文庫:1970年4月10日初版発行)を読了。みなもと太郎:著の『風雲児たち』(潮出版社の希望コミックス)の第6巻に登場して興味を持ち、ネットでゲットしました。ベニョフスキー=ベニョヴスキーはハンガリー生まれの自称貴族で、ポーランド人の対ロシア抵抗組織に加わってロシアの捕虜となり、カムチャッカ半島に流刑されます。ロシアの軍艦を奪って脱出し、マカオまで航海。その航海記を残しているのですが、粉飾だらけの代物なんですよ。
流刑地の長官の娘の家庭教師をしていたのは事実のようですが娘と愛しあい、脱走しようとしていた仲間が長官を殺したので、仲間を殺して娘とカムチャッカから脱走したのは作り話。ベニョヴスキーが長官を殺して脱走したんですよ。日本を目指して、阿波の海岸にたどり着きますが上陸を許されず、続いて土佐でも上陸を許されず、長崎に向かおうとしますが方向を間違えて奄美大島へ。日本までの情景描写は他人の航海記を盗作しているので、タヒチ南洋諸島の情景です。千島列島でバナナやパイナップルがとれるものか。日本では将軍と永久の友情を誓いあい、義兄弟のちぎりを結んだというデタラメぶり。
ベニョヴスキーは上陸できなかったことから、将軍宛てに“ロシアが日本に攻めてくる”という嘘の手紙を出したんですが、これが“ハンベンゴロウ手紙事件”ね。ドイツ語で書かれており、解読した出島のオランダ商館長がベニョヴスキーの名をファン・ベンゴロとオランダ語読みしたため、日本ではベニョヴスキーとハンベンゴロウは別人と思われていました。嘘の手紙でも、工藤平助や林子平にロシアの脅威を感じさせ、蝦夷地に目をむかせる効果はあったわけです。
学術本のため読みづらさはありますが、詳細な注釈は役立ちま〜す。