懐かしのヌーヴェルヴァーグ

録画していた『気狂いピエロ』(1965年/監督:ジャン・リュック・ゴダール)を観る。ゴダールヌーヴェルヴァーグの到達点と云われる作品。

フェルディナン(ジャン・ポール・ベルモント)は、金持ちのイタリアン妻との生活に退屈し、無為な都会生活から逃げ出したい衝動にかられています。子守りにきた昔の恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)と再会し、彼女のアパートへ。翌朝、首にハサミを突き立てられて死んでいる男を発見。マリアンヌは一向に気にする様子がなく、フェルディナンは昔より魅力的になったマリアンヌとパリから逃げ出します。マリアンヌの兄がいる南仏に向けて強盗旅行。孤島での愛の日々を夢想しますが、殺人や武器密輸ギャングのごたごたにまきこまれ、おまけに彼女の兄というのが情夫だったことがわかり、怒ったフェルディナンは彼女と情夫を撃ち殺し、自身は頭にダイナマイトを巻いて自爆。マリアンヌはフェルディナンをピエロと呼んでおり、それで“気狂いピエロ”ね。

自由、挑発、疾走、目くるめく引用と色彩の氾濫、そして饒舌なポエジーと息苦しいほどのロマンチズムと評価されているように、バスルームでのエリ・フォールの「ベラスケス論」の朗読から始まり、サミュエル・フラーが本人役で出演して語る「映画論」、そしてラストのアルチュール・ランボーの詩句。赤・青・黄の原色が画面を彩り、つんのめるようなカットのつなぎ。印象に残る作品ですが、私にはよく解からな~い。