討入り

nostalji2007-12-14

元禄15年12月14日の深夜(正しくは日付が替わって15日なのだが)、赤穂浪士が吉良邸に討入る。映画やテレビでは瓦版屋が討入り事件を江戸町民に知らせるシーンが出てきますが、意外と早く事件のことは江戸中に知れ渡ったようです。桑名藩江戸屋敷の日誌(桑名藩所伝覚書)によると、「吉良上野介様のお屋敷の近所へ行き、討手の様子を聞きましたところ、浅野内匠頭様のご家来70人ほどが、具足に身を固めたり、着物の下に鎖帷子を着て、上から陣羽織を羽織り、槍や薙刀を持参し、昨14日の夜八つ時ごろに表門へ押し寄せ、鉦・太鼓を打って火事だと叫び、表門から梯子をかけて乱入したとのこと。裏門からは掛矢で門を外して押し込み、今朝六つ時前に引き揚げ、回向院の表通りに集合して帰ったとのことです」とあります。記録した桑名藩士は町民の噂話を取材したにすぎないのですが、こうした噂や風聞が一人歩きして歌舞伎や映画のネタになっていることは間違いありません。
画像は、歌舞伎『忠臣蔵』の大星由良之助(松本幸四郎)。歌舞伎では時代を室町時代に設定し、吉良上野介高師直の屋敷は鎌倉となっているのですが、十一段目の討入りだけは実録風のやり方で上演していますね。