ゲームをすると

nostalji2008-05-06

画像は、『伊達政宗』(学習研究社:1990年6月30日発行)で、歴史群像シリーズ19巻。ゲームを始めると、この手の本を出してきて、色々確認するんですよ。
でもって、PS2で『信長の野望・革新』ですが、1583年7月、三戸城の南部が塩釜港攻略に南部晴政(5千)と南部信直(5千)が出陣してきました。三戸城に残る兵力は7千6百なので、攻略するチャンス到来。高水寺城のほぼ全兵力にあたる、伊達政宗(騎鉄:4千5百)・伊達成実&屋代景頼(足軽:4千5百)・鬼庭綱元(騎馬:4千)・黒川晴氏(足軽:4千5百)が、南部軍が塩釜港到着直前を見計らって出陣します。久慈港に南部勢(4千)がいますが、それでも兵力的に圧倒的有利。塩釜港を奪われても、三戸城を奪えば南部は何もできなくなりますからね。でもって、高水寺城の時と同じ包囲作戦。南部晴政(5千)が引き返してきましたが間に合わず、三戸城を攻略したのだ。塩釜港も国分盛重(3千7百)が踏んばり、南部信直を撃退。
高水寺城の兵力不足は、出陣と同時に兵5千を岩出山城から輸送。手薄になった高水寺城を檜山城の安東家が、安東愛季(6千5百)・戸沢盛安(6千5百)で攻め込んできましたが、檜山城を大浦城の津軽勢が攻め込んだので安東愛季は帰還し、戸沢盛安は鉄砲櫓と鉄砲銃眼により殆ど破壊されることなく撃退しました。さらに、同盟が終結した太田城の佐竹が宇都宮と共闘で岩出城に向けて出陣してきたので、遠藤基信に命じて蘆名に援軍要請。宇都宮城の芳賀高定(5千)は鉄砲櫓と鉄砲銃眼で撃退し、佐竹軍の佐竹義重(5千5百)と太田三楽斎(5千5百)は蘆名軍が撃退してくれました。
1584年9月、伊達政宗&大崎義隆(騎馬:8千)・伊達成実&屋代景頼(足軽:6千5百)・鬼庭左月&高田康実(騎馬:5千5百)・黒川晴氏&菅谷政貞(足軽:4千5百)が、1万1千で立て篭もる久慈港の南部勢を攻略。捕虜にした南部武将を家臣にしました。南部晴政九戸政実といった武将は役立ちそうで〜す。