再び古い映画雑誌

nostalji2012-08-11

古いキネマ旬報(1961年8月上旬号)をながめる。表紙の人は、キャロル・リンレーね。封切間近の西部劇『ガン・ファイター』は5作目で、まだ初々しいです。特集は“映画とエロチシズム”で、「エロチックな描写、ベッド・シーンをいかに巧みに見せるかは、演出家の腕である。すぐれた映画には、すぐれた愛情表現がある。愛情の極致をどう描くか、人間的美しさと最高のムードを通して、これを芸術に高めるのは作家の良識であろう」の意見には同感。猥褻と芸術の違いね。
録画していた『新・座頭市(第3シリーズ)』の7話〜9話を観る。第7話「ゆびきりげんまん」(監督:国原俊明、脚本:佐藤繁子・中村努)は、出だしが“関の弥太っぺ”で、市が娘を預けた祖父母の家が強盗に襲われ、成長した娘(大谷直子)は、今はヤクザの親分になっている強盗(清水絋治)に復讐しようとしているのね。娘との10年前の約束を果たすために市は、預けた家にやって来ますが……
第8話「大当り、めの一番」(監督:国原俊明、脚本:安本莞二・奥村利夫)は、人の好い絹物商(草野大悟)が遊女(波乃九里子)に惚れ、身請け金を得るために誘われた悪ヤクザ(深江章喜)のイカサマ賭博で所持金を全て奪われます。絹物商から市が貰った富くじが大当りして……
第9話「雨の船宿」(監督:森一生、脚本:中村努)は、大雨で船止めとなった船宿を舞台にした“グランド・ホテル”形式の物語です。中心は十手返上に行く途中の岡っ引き(須賀不二男)と船宿の船頭になっている逃亡犯(山本圭)との心の葛藤ね。いずれの話も市はストーリーの中心でなく、狂言回し的存在です。
昨日より少し早起きして4時から男子サッカーの韓国戦を観る。0―2で敗れ、メダルを獲ることができませんでした。メキシコ戦と同様に点を取られてから全く精彩を欠きましたね。戦術面に柔軟さがなく、現実対応ができなかった感じです。精神面にも弱さがあったかな。