機内で読書

イタリア旅行に行ってきたのですが、長い飛行の暇つぶしに、柳澤健:著の『1964年のジャイアント馬場』(双葉文庫:2019年1月13日第1刷発行)を読了。ジャイアント馬場の知られざる足跡を追うプロレス・ノンフィクションです。
一言でいえば、プロレスとは何か、ということがわかる本です。プロレスはエンターテインメントで、客を喜ばすことができるレスラーがスターになるんですな。勝ち負けよりも、内容ね。1961年7月に馬場は初渡米し、63年3月に第5回ワールドリーグ戦出場のため帰国。10月に再び渡米しますが、12月に力道山が死亡し、1964年は馬場にとってターニングポイントになった年となります。アメリカ遠征で馬場は、ヒゲに下駄姿の悪くて強い日本人を演じて、客を熱狂させる人気レスラーになっていました。本場アメリカでも数少ない年収10万ドル以上稼ぐレスラーになっていたんですよ。馬場の夢は、ニューヨーク・マディソン・スクウェアー・ガーデンのメインイベンターとなり、引退した後はハワイで絵を書いて過ごすことだったのですが、山口組の田岡組長から日本に帰って来ることを要請され、断ることができませんでした。トップの座を馬場に奪われることを怖れた豊登は馬場を呼び帰すつもりはなかったようですが、日本テレビ日本プロレスの興行をしきる山口組は馬場を必要としたんです。豊登がエースでも、団体最高の高級取りで、人気実力ともに上回っていた馬場は不満を抱くことはありませんでしたが、豊登が不祥事で追放され、名実ともに日本プロレス界のエースになります。団体分裂で全日本プロレス設立までの時期が馬場の全盛時代でしたね。全日本プロレスの社長になってからは、予定調和型のプロレスで面白味はなくなりましたが、人間性の良さで誰からも愛される存在となったのは周知の通り。
馬場がアメリカ遠征で知ったプロレスとは、
①真剣勝負を捨て、一致協力して面白い試合を作り上げる。
②派手な投げ技が多く出るように、微妙な体重移動を行う。
③殴る蹴るなどの打撃技を使う。
④相手をロープに飛ばしたり、コーナーポストから飛び降りたりする。
➄実戦的ではないが、見映えのする技を使う。
⑥ドイツや日本、ソ連など、敵国のレスラーを演じる。
⑦覆面をかぶって神秘性を演出する。
⑧場外乱闘を行う。
⑨流血して観客を驚かせる。
➉レフェリーの見えないところで、観客にわかるように反則攻撃を行う。
異種格闘技戦を行う。
⑫異種スポーツのスター選手をレスラーにする。
⑬マイクパフォーマンスを行う。
⑭観客の憎悪をかきたてるパフォーマンスを行う。
で~す。

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