週に一度は西部劇

DVDで『真昼の決闘』(1952年/監督:フレッド・ジンネマン)を再見。

正午に到着する汽車で無法者が保安官を殺しにやってくるという設定で、午前10時40分から正午になるまでの1時間20分をリアルに描きつつ、刻一刻とサスペンスを盛り上げていく“リアリズム西部劇”の名作として西部劇ファンなら知らない人はいないという作品。西部の列車が定刻通りにつくことはなく、リアリズムとはいえないのですが、それは映画として許される嘘。

出所した無法者フランク・ミラーイアン・マクドナルド)を迎えに行くフランクの弟ベン(シェブ・ウーリー)と仲間のコルビー(リー・ヴァン・クリーフ)とピアース(ロバート・ウィルク)の映像から始まり、町では保安官ウィル(ゲーリー・クーパー)とエミー(グレース・ケリー)の結婚式。ウィルは5年前にフランクを逮捕・投獄しており、彼らの目的は仕返し。ウィルは無法者たちと戦うために酒場や教会を訪れ助勢を求めますが、誰ひとり応じません。それで覚悟を決めてひとりで戦うことを決意。

この設定は西部劇に限らず色々なジャンルで類似品を生んでいます。藤沢周平の小説『孤立剣残月』(文春文庫『隠し剣秋風抄』に収録)もそのひとつ。主人公は上意討ちした男の弟と果し合いをすることになった武士。かつては英雄ともてはやされた主人公でしたが今では体力が衰え、ひとりでは到底たちうちできないので、心当たりに助力をもとめますが引き受けてくれる者はいません。ひとりで戦うことを決意して秘伝の残月を鍛錬。それは、相手の剣筋を見切り、ひたすら躱して相手の隙が出たところを斬るというもの。しかし、相手は隙を見せず、主人公は少しずつ傷を負っていきます。これまでかという時、主人公に愛想をつかして実家に帰っていた妻が出現。妻が懐剣を手に相手に向かっていった瞬間、相手に隙ができ、隠し剣“残月”で倒します。私的な戦いという理由で助力を断られたり、妻が助けに現れたりとソックリ。

私がこの作品をスクリーンで初めて観たのは、『ハイ・ヌーン』の題名でリバイバル上映された時で、悲愴感漂うクーパーに感動したものです。その後、再見するたびに感動は薄れていきましたが、ネッド・ワシントン作詞・ディミトリ・ティオムキン作曲の主題歌だけはいつ聴いてもグッド。映画の内容そのものの詞にティオムキンが見事な曲をつけて1952年度のアカデミー主題歌賞を受賞。スタンダードな曲として色々なアーティストがカバーしていて、25人27曲(テックス・リッターのサントラ・レコード・ライブの3曲あり)を収録した「ハイ・ヌーン」だけのCDも発売されています。聴き比べてみると、やっぱりテックス・リッターの歌が最も情感があって一番ですね。

ちなみに、今回再見するまで留置所にいた酔っ払いがジャック・イーラムだったことをすっかり忘れていましたよ。