古代史は謎がいっぱい

nostalji2007-12-10

NHKハイビジョンで『大王四神記』が始まり、日本の古代史に興味がひかれる。
『大王四神記』の主人公・広開土王は、4世紀末(391年即位)から5世紀初め(412年)にかけて君臨した高句麗の王で、諸方に軍を出して領土を拡大しました。碑文が残っていまして、その中に倭国との戦いのことが記されています。その部分を要訳しますと、391年に倭人が海を渡り、百済加羅新羅を破って臣下にしたとのこと。396年に広開土王は百済に遠征して服従させます。399年、倭軍が国境に集結していることを訴えた新羅からの救援要請がきます。400年、広開土王は5万の軍で倭軍を撃退します。404年には、勢力を盛り返した倭軍が漢江を渡り進軍してきますが、広開土王は大軍をくりだして撃退します。碑文には、「倭冠潰敗し、斬殺すること無数なり」とあります。
日本書記によりますと、392年に百済の辰斯王が応神天皇に対して礼を失したので、紀宿禰を派遣して百済を討ち破ります。百済は辰斯王を殺して謝罪したので、紀宿禰は阿花を王に即位させて帰国します。しかし、百済高句麗に従属したため、397年に軍を送って、百済の枕弥多礼・硯南・支侵・谷那・東韓を占領します。百済は王子の直支を人質として差出し、許しを請うたとあります。4世紀後半から倭国朝鮮半島に進出していたのは間違いないのですが、倭国大和朝廷かというと疑問が残ります。
紀元前後の朝鮮半島南部は馬韓弁韓辰韓三韓が並立していまして、馬韓百済辰韓新羅弁韓加羅へと発展します。百済新羅は独自の王権を形成しましたが、加羅は統合されない小国群でした。私は加羅の小国の一つが渡来し、九州に王朝を作ったのが倭国だと考えています。九州で基盤を作り、加羅を前線基地として百済新羅に対抗していったのだと思います。日本という統一国家ができるのは、大和朝廷倭国を滅ぼしてからなので〜す。あくまで、私論。
画像は、広開土王(タムドク)のペ・ヨンジュン