武家政権との違い

nostalji2013-09-03

韓国時代劇『武人時代』が最終回。イ・ウイバン(ソ・インソク)とチョン・ジュンブ(キム・フンギ)たち武臣が文臣を粛清して官職を奪い、毅宗(キム・ギュチョル)を廃位して王弟・明宗(キム・ビョンセ)を即位させた1170年の武臣クーデターから始まり、1219年の武臣権力者チェ・チュンホン(キム・ガプス)の死までを描いた大河ドラマです。たった50年の間に、イ・ウイバン→チョン・ジュンブ→キョン・デスン(パク・ヨンウ)→イ・ウイミン(イ・ドックァ)→チェ・チュンホンと次々に権力者が変わっていくのね。馴染みのない高麗時代中期を時代背景にしており、武臣政権というのが興味をひかれました。日本でも、1159年の平治の乱により平清盛武家政権樹立の礎を築き、平家を破った源頼朝が1192年に鎌倉幕府を開いて武家政権を確立した時期とリンクします。
軍事力を背景に政権を掌握した点は同じですが、日本には国家の軍隊がなく、全て武家の私兵だったことです。高麗でも豪族が私兵をもっていましたが、基本は二軍や六衛といった国軍ね。国軍に従事する武臣は文臣に比べて地位が低く、その不満が1170年のクーデターになったわけですな。同じような権力争いばかりが続き、ドラマとしては、「またか、またか」の連続ね。農民は搾取の対象にすぎず、農民・賤民・奴婢の反乱が、30年間に30回以上も発生しているんですよ。日本の場合、武家が領地をもっていて、戦がおこれば農民も私兵として働いてもらわなきゃならないので、暴政はありません。武臣政権でも、キョン・デスンとチェ・チュンホンは多くの私兵を抱えて権力を握りますが、武人の世を作るといった思想はありませんね。朝廷の枠組みの中でしか政治体制を作れなかったところに韓国武臣政権の限界がありま〜す。