図書館で借りてきた中山千夏:著の『蝶々にエノケン・私が出会った巨星たち』(講談社:2011年10月6日第1刷発行)を読了。著者が10歳前後から20歳前後の時期に交流した芸能人との想い出を語っています。私が子供の頃に観ていたTVドラマ『やりくりアパート』(1958年4月〜60年2月放送)に出ていた女の子が中山千夏だったとはこの本を読むまで気づきませんでしたよ。著者も書いているように、佐々十郎・大村崑・茶川一朗が本当に面白く、可笑しく、大笑いしたコメディでした。生放送であっても、役者たちにまなじりを決したような緊張感が微塵もなかったというのは意外でしたね。活気はあるが呑気な雰囲気を感じていたとのこと。一に舞台、二に映画、三、四がなくて五にテレビという当時の芸能界の評価が、生放送でも余裕をもたらしていたと分析しています。なるほどねェ。
ミヤコ蝶々と共演した『しゃぼん玉劇場』(1958年11月〜60年10月)は観ていないので知りません。月曜日8時〜8時30分といえば、私が観ていたのは……ない。8時30分からは、若山富三郎の『銭形平次捕物控』を観ていましたけどね。
ところで、蝶々の相方・南都雄二の由来については、あまりたびたび「これ、なんという字?」と尋ねたことから、南都雄二になったというのは少し違うようです。先日読了した『いとしこいし想い出がたり』によると、南都雄二は堀雄二のファンで名前を雄二にしたかったとのこと。蝶々がミヤコだったので、“なんという字”の語呂あわせで姓を南都にして、南都雄二となったそうで〜す。